《2011-2000更新記録》

2011.02.06
九州霧島の新燃岳の噴火には驚いた。昨年10月、韓国岳から縦走するには時間がなくなったので、麓の一軒宿、新湯温泉・新燃荘に泊まったばかり。その後の様子が気がかり。
11月、越後高田、五箇山、今庄経由で湖北に至り、東海道・土山宿へ。1,020km。
12月、新潟港から苫小牧東港へ。荒れ模様の天気で出港が2日ずれたが、日本海から太平洋へ津軽海峡横断中の4時間ほどは風雪も穏やかになり視界良好、景色の変化を楽しむことができた。道南の天候は回復して晴れ間が続いたが、青森側は寒波が襲い大雪にみまわれる。津軽を回るつもりが出直すことにして直帰。1,650km。
 摘録の岩波文庫版で我慢していたが、昨秋、浅草の古書店で神田よりずっと美装安価な『断腸亭日乗』全7巻を見つけて購入してしまう。それからは荷風にハマりっぱなし。

2010.11.10
9月に『住まいのまちなみを創る』ようやく刊行。
 編集で足かけ3年ほど時間がかかった「郊外住宅地の事例集」。A4判472ページの大部の本を建築資料研究社より刊行。一般的なものではないが、住宅地の設計に関しては類書のない本である。
 10月中旬、神戸芸工大での打合せに乗じて淡路島に泊り高田屋嘉平衛の出身地都志を尋ねる。さらに和歌山大学でスライド講演を片づけて、大阪南港から宮崎行きのフェリーで久しぶりに南九州へ。韓国岳(からくにだけ)に登り、新湯温泉や人吉の定宿でしばし英気を養ってから、仕事がらみで熊本、福岡などを廻って、佐賀からいっきに帰京。10日間3,000km。

2009.10.25
10月6日から12日、中国甘粛省敦煌へ。
 メインの莫高窟から、楡林窟、東千仏洞、西千仏洞など、敦煌研究院の案内で特別に5世紀から12世紀に至る主要な石窟の壁画を見ることができた。ただし、撮影は一切禁止。そのほかに訪れた付近の景観もすばらしいものだった(PDF).

2008.12.31
2008年回顧。3月、大阪南港から別府へ。九州北部を回ってから、半年ぶりに石見銀山へ。9日間。4月は『家とまちなみ』の住宅地取材で沖縄本島(表紙写真)。5月、岐阜、中山道。6月末、新潟港から小樽に上陸し、利尻・礼文まで。念願の利尻富士登頂を試みるが時間配分を誤り8合目までしか行けなかった。道央、函館、津軽を回り10日間の旅。7月中旬大阪、以後11月までほぼ月2回1泊1.5日で大阪通い。8月、金沢、舞鶴、丹波。10月、能登、上越。11月、福岡、九州町並みゼミ。12月、群馬。
 大阪へはしばらくは仕事で行く機会が増えそう。足かけ3年ほど取り組んでいる郊外住宅地の本は2009年夏刊行予定だが、まだまだクリアしなければならないことが山積していて微妙。
 11月に関西大学で公開講座があったが、そのために夏頃から手をつけはじめてスライド、デジタルデータの町並み写真を整理することができたのが大きな収穫。
 建築士法の見直しが求められていた最中、耐震偽装問題が拍車をかけて大幅な改訂に至る。関連団体である日本建築士会の組織改革も行われ、その一環として連合会会誌『建築士』の刷新も。いまさら月刊誌の編集とは……と二の足を踏んだが、制作体制と役割分担で希望が通ったので2009年1月号リニューアルから担当することになった(表紙写真)。軌道に乗るまで当面追われそうだ。約56p、要するに普通の雑誌レベルにすればいいことだが、会員数/発行部数11万部の雑誌は、それなりの可能性もありそう。
 今年は明治期の小説にハマっていた。漢文調はついて行けないが、初期の言文一致体がいい。本郷・棚澤書店や駿河台下・文庫川村をたびたびのぞいては古い文庫本を求めていた。

2007.10.15
3年がかりで取り組んでいた『別冊太陽 石見銀山』(平凡社)ができました。
 1996年に「白川郷・五箇山の合掌造り集落」が世界遺産登録された際にも、地元からの依頼で記念報告書をつくったことがあります。もちろん私も世界遺産のことはその時はじめて知ったようなものでした。昨今のように話題になるようになったのはちょうどこの白川郷のあとからと記憶しています。
 今回の石見銀山については、その頃とは状況が様変わりして、国内暫定リスト入りした頃から、石見銀山を全国に知ってもらうための本づくりの相談を受けました。そこで『日本の町並み』の縁もあったので、今回も平凡社・別冊太陽での発行となりました。
 とは言っても、登録決定にまつわる曲折が報道されたように、一時は厳しい情勢が伝えられてこちらも作業が中断され、気をもむ日々が続いたことも。山陰の小さな町が一丸となって取り組んできた世界に名のりを上げるイベントの成否をいっしょに見守ることになったのも、なんだか妙な体験でした。
 その後の白川郷は、急激な観光化でマイナス面ばかりが目につきます。石見銀山がどうなるか、その危機感は地元の人々も持っており、いろいろ議論されています。これからはそんな町を守る活動が注目されるようになって欲しいと思ってさえいます。

2006.12.31
2006年一顧。
 東走西駆を支えた16年来の愛車が疲弊。4月の島根県大田行き以降、長距離はもう難しくなる。また最近は持参する資料や機器が増えたこともあり、1000ccの二輪から1500ccの四輪にメインが移る。新潟(6月)、九州(9月)、大田(10月)、南東北(10月)、和歌山・徳島(10月)、奈良(12月)は四輪で廻る。
 「石見銀山」に関連して、一昨年から大田に行く機会が多くなっているが、今年は4回通った。まだ何度か行くことになるが、来年はこの仕事で忙殺されそうだ。いままで、二輪、四輪、飛行機、在来線、寝台特急サンライズとアシを代えてきたが、新年早々は長距離バスの予定。
 今年のハイライトは、30年振りの海外旅行。8月に中国四川省のカム・チベット族自治州へ。標高4000m台の高地に10日間ほど滞在。最高到達は4718m。普通に歩くのにも呼吸が苦しくなった。

2006.01.17
昨年11月に『JAPAN 日本』という本をつくりました(写真はカバー部分)。
 小泉首相が力を入れている政策のひとつに、2010年までに外国人観光客を現在の約500万人から倍の1,000万人をめざすというのがあります。そのためビジット・ジャパン・キャンペーン(Yokoso JAPAN)というのが国をあげて大々的に行われています。その一環としての「日本紹介写真集」の編集を、独立行政法人国際観光振興機構(JNTO)というところから依頼されました。
 英語版で、ごくシンプルな構成の写真集ですが、日頃の仕事ではなかなか手が出ないような用紙とレベルの高い印刷・製本技術を使うことができました。でも、売り物ではなく、国内では一般には入手困難な特殊なものなので、せっかくつくっても誰にも知ってもらえないのはちょっと寂しい。

2005.06.24
まだ、案内も出せずにいますが、4月末に移転しました。新しい住所は左記の通りです。
 今年度から、全国伝統的建造物群保存地区協議会(通称:伝建協)のWebサイトの制作・運営をやることになり、現在、全面リニューアル中です(http://www.denken.gr.jp)。
 以前から、伝建協機関誌『歴史の町並』の編集発行に関わっており、Webサイトの開設を提案していましたが、その実現が不確かだったので、2000年9月に自前のサイト「まちなみネット」を立ち上げました。やがて、伝建協公式サイトは別なルートから開設されましたが、必ずしもスムーズに運営がされていたとは言えないようでした。04年度文化庁委嘱事業、「伝建地区のデジタル・アーカイブ化」に協力しましたが、これを機会に、公式サイトの制作・運営もわれわれがやることになりました。
 日本全国に散らばる組織ですが、その情報発信と相互情報交換には、インターネットが有意義なツールになれると考えていましたから、今後の展開に期待を持っていますし、やる気になっています。
 「まちなみネット」は、いわば吸収合併するかたちで年内には閉鎖するかもしれません。

2005.01.04
メインである独自ドメインのアドレス、Web関係のアドレス、そしてユーザー登録などに使う個人的なアドレスと、三つのメールアドレスを使用して常にMacとWinでチェックされるようにしているが、昨今のスパムメールの多さにはいささか辟易。

2004.12.07
Lacieの240GB外付けハードディスクを接続。この前にLogitecのUSB2.0(3個口)の拡張ボードを取り付けていたので、HDもUSB接続としたが、スリープ状態から立ち上がらなくなった。Lacieに問い合わせたところ、FireWire接続を推奨され、その通りにしたら解消した。Lacie担当者曰く、「MacではAppleが開発したFireWireのほうが安定しているし、USB2.0よりも早い」との、スピードに関してはヨドバシカメラの店員とは異なる意見。
 MacとWinで使用しているメールソフトEUDORAが昨年、日本語版開発元が「エッジ」というまったく知らない会社に変更になったと通知が来た。やがてその会社が今年初めだったか社名変更で「ライブドア」となった。そのころから、バージョンアップにトラブルが出たり、HPもわかりずらくイライラさせられ、電話問い合わせもアタマにくることがあり、とにかくライブドアにはいい印象がない。そうしたら今度は、Winで使っている会計ソフト「弥生会計」もライブドアに買収されてしまった。
 取材に出ると宿の予約で重宝しているWebサイト「旅の窓口」(後に「楽天トラベル」となった)は楽天に買収されて面倒になった気がするし、両方ともどうも好きになれないなぁ。

2004.09.01
QXPress 6.1が発売されたので、バージョンアップ。少なくともこちらが普段使う機能についてはあまり変化はないように思うけれど、MacOSXネイティブで立ち上がるのは助かる。
 また、だんだんメールでやりとりする添付ファイルのサイズが大きくなってきており、30MBに設定しているメールサーバもときどき一杯になってしまう。そろそろサーバ容量も検討しなければならないか。
 一方、こちらもしょちゅうサイズの大きいファイルを送りつけていることを反省して、G3Macだけに入れたままだったStuffit Deluxeを最新バージョン8.0にしてG4Macに移し、できるだけ圧縮して添付するよう心がける。とくにEPSファイルは圧縮しないと送れないケースが多いので便利。

2004.05.04
久しぶりに自らQXPressでページ組をつくることになったが、G4Macはすでに最新バージョンのMacOSX.10.3.33に移行しており、Classic環境でのQXPressは不安定で、なおかつフォントはOpenTypeFontに入れ替えているので、G3Mac/MacOS.9.2.2で作業する。
 ただ、G4のIllustrator.10で作成した画像があったり、作業がはかどるので先のことを深く考えずはじめはG4でもファイルを開いたりしていたが、何度か入れ替えているうちにフォントが混乱してしまい大変なことになってしまった。なんとかG3上で完成したが印刷所で無事に変換できるかどうか大いに不安。
 急速に普及しているAdobe InDsign2.0.2は一応導入しているが、馴染めないしほとんど使っていない(使ってみようとする気持ちにならない)。MacOSXに対応したQXPress.6というのが近々出ることになっており、個人的にはそちらに期待しているがスタンダードになれるかどうか心配。

2004.05.03
連休中に宿題をたくさん抱えたが半分もできそうにない。SUMAIのサイトに図書館の蔵書検索プログラムを搭載するというのがその一つだったが、材料不足でおあずけになってしまった。CGIプログラムに関する解説書を以前に買ってみたが、これは深入りすべきでない、と人にあげてしまった。再び買ってみるハメになりそうだが、どこまでできるものやら……。
 01年12月に、Webサイトに動的要素を取り込むMacromedia Flash5を購入したが、結局ほとんど手つかずのままバージョンも古くなってしまった。これも手を出すまい、と考えたものだが、先月必要に迫られて簡単なアニメーションにチャレンジ。やはりG4MacOSXに対応した最新バージョンを導入しなければならないよう。

2003.11.11
別冊太陽『日本の町並み』の取材・編集でこのところほとんどの時間がとられている。現在、第3巻「関東◎甲信越◎東北・北海道」を2004年1月刊行予定で詰めているところ。
 この際だからできるだけ見て回ってやろうと開き直ったら、ここ1年の半分近くは旅の空の下。それなりに楽しんではいるが、プレッシャーもある。カメラマンの分と合わせて取材費がかさみ、ほとんど残らないみたい。
 東京にいると割引サービス内の携帯電話料金も、地方に出るとノートパソコン接続のデータ通信料がグッと上がってしまう。行った先や周辺の情報集め、また仕事柄結構な容量のメールをやりとりするし、Webサーバにアクセスして簡単なHPの更新をすることもある。最近は、「旅の窓口」で宿探しをするが、都会のホテルなら無料LAN接続が可能かどうか必ずチェック。3日に1回でも利用出来ると結構助かる。
 通信スピードは少しでも早いほうがいいので、携帯を売り出したばかりのINFOBARに買い換え。デザインはNISHIKIGOIがすてきだが、さすがあの赤は持てないと弱気になり、ICHIMATSUに。高速パケットサービスだとこれまでの倍の最大144kbps(ISDNの倍)らしいけど、多少早くなった気はする。でもこのスピードを利用できるのはまだ主要都市周辺に限定されいて、実際に役立つケースはどれだけあるやら。

2002.08.22
唯一、チケットがとれたWCupドイツ×アイルランド戦(カシマスタジアム 6月5日)を観戦して、翌日、鹿島からの帰りにふらっと秋葉原に寄ったら、勢いでPower Mac G4を購入してしまった。それもデュアル1GHzプロセッサ、メモリ1.5GB、HD160GB仕様。
 一気に移行するのは気が重いので、時間があるときに徐々に設定を調整していたが、お盆休みで集中できたので残りの必要なソフトをインストールして、いよいよデスクの中央にG4のキーボードが鎮座することになった(OS.9.2での使用)。
 これまで使用していたPower Mac G3は、春にデュアルモニタにしてより快適になりとくに不便は感じていなかったが、その後、重いIllustratorのデータを扱ったときに、そのパワーに物足りなさを感じてしまった。
 いろいろな分譲住宅地のチラシ広告のデータを提供してもらい、そこから必要な図面やアイテムをコピーしたのだが、A3見開きの密度の高いデータはさすがG3でもオロオロしてしまった。それにしても、それぞれチラシのつくりかたもさまざまだったが、よくこんな細かなことをやるもんだとデジタル・グラフィックの世界にいささか感心。こちらはただ必要なところを取り出すだけで(それでもレイヤーやマスクの処理で大変だった)、Illustratorの使い方を多少おぼえた程度だが、あまり深入りはしたくないと実感。
 G3はまだ予備的に並行使用しているので安心感は倍増。モニタはG4=21インチ+17インチのデュアル、G3=21インチにシングル接続して必要なとき切り替え。17インチはプリントサーバ代わりのPowerMac7500にも接続しているので、3台のMacを同時に立ち上げたまま2台のモニタをボタン一つで切り替えながら共用することも可能。

2001.12.31
プレゼン資料作成で使ったPowerPointではWebへの応用は効かないし、アニメーションもそのうち必要かと観念して、ソフトMacromedia Flash5を購入。お正月中にでも、このサイトに応用してみよう。
 ADSLには納得がいかないので一気に光ファイバーを狙っていたが、8Mになったこともありコストのことも考えて、2年も保つかと疑問もあるがまあいいかとADSL申込をする。
 それに付随して、これまでISDN1回線で複数の番号が使えるダイアルインサービスによって維持してきたFAX専用番号を解約。今後はphone/fax兼用(その後、FAXがいかれて送信不可。受信のみ。FAXなんて“デジタルの恥”だと思っているので買い換えしない)。これでダイアルインサービス利用のために残していた市内通話マイラインのNTTもKDDI乗り替えられるようになった。

2001.12.17
www.machinami.or.jpに、CGIによる検索プログラムを搭載。自分ではとてもプログラムなど手に負えないので(そこまでやる気はない)、筑波OBの若いグループの(株)アイオンの協力を仰いだ。まずはどんなものか様子を見て、今後より高度な展開を試みたい。
 ついでに、DIONとのホスティングサービス契約に付帯してメーリングリストの作成(ただし、100名限定)が可能だったのを放っておいたが、せっかくだからメルマガのテストも開始。

2001.10.01
www.linkclub.or.jp/~sumaiをひさしぶりに更新。企画展の案内を掲載したが、そのとき作成したB1パネル4枚をPDFに変換して、掲載することを試みたが、最適化しても容量が大きく断念してしまった。
 PowerPointによるプレゼン資料の作成の必要性に迫られ、OfficeMac2000を購入。たった3カットのタイトルに凝ってしまい、まる2日ハマッテしまった。アニメーションにもちょっぴり興味。

2001.08.01
長い間、日暮里にあるプロバイダ・インターネットジャーにてサイトを運用してきましたが、本日よりこちら(DION)をメインにしていきます。
 サイバー空間だからこそあえて顔の見える身近なプロバイダにしようと加入したので、電話での担当者の名前と声もわかる(そしてたぶん向こうもこちらを)お付き合いでしたが、このところの急速なインターネット環境の進展で乗り換えざるを得なくなったのはとても残念。

2001.06.25
汎用JPドメインを取得しました(eda-editor.jp)。それに伴い、http://www.eda-editor.jpにもまったく同じホームページを置いています。しばらくは、併存して様子をみます。
 メールアドレスも数が増えて煩雑になってきているので、ひとつに集約しようかと思いますが、どのような態勢が使いやすいかまだ手探りなので、しばらくはこのまま併用してみます。

2001.05.28
LINKを少し付け加えました。ごくプライベートなサイトなので、LINKを張るのもおこがましいですが、お世話になっているところもあるのでご紹介します。
 自ら関わっているサイトは、WebWorkに掲載しています。
 連休前の4月後半、山陰から瀬戸内海、四国を回ってきました。ウエストバックにノートパソコン、左ポッケにケータイ、右ポケットにデジカメ入れて、旅先から写真入りメールを送っていました。どのくらい顰蹙を買うか試しのつもりでしたが、これが結構煩雑で、そうそうはやってられるものではありませんでした。こんな装備は馬鹿げている(その後、もう少し簡単な仕組みに気がつきましたが)。

2001.03.26
このところ雑用に追われ、なかなか更新できずにいます。ここだけでなく、他のサイトも手が回らずにいますが、何かしら手段を講じないとだめかな。ブロードバンド対応を考慮して、いくつかのサイトでプロバイダの変更を準備中です。
 ここも、変えざるを得ないかもしれません。これを機会にオリジナル・ドメインや携帯デビューしてモバイル環境を強化するなどしています。マイラインでNTTと縁切りしたいが、フレッツADSLするとなるとだめ、でもADSLにするとAUのパケット通信が使えないなど、パッケージサービスではなく、自分にあったように環境を整えようとすると手間がかかり制約を多くなります。落ち着くのは5月になりそう。

2001.01.06
よそのサイトを見ていて、Web上での著作権やリンク、個人情報の扱い方についていろいろ気になるところが出てきました。条件や規制がきついのは好みじゃないし、免責ばかりでも釈然としないので、自分なりにどういったスタンス、表明のしかたがいいか考えていきます。ということで、copyrightのページをつくりました。

2000.11.17 Adobe Acrobat
購入してからほとんどさわってもいなかったAcrobatだったが、DTPソフトのQXPressでレイアウトしたページをPDFファイルに置き換えることを覚えたらとっても便利で、Windows宛にもMacでページ組したものを送信したり、カラー写真も入れることができる。画面で見るだけでなく、カラープリンタで出力してもらうとページの感じもわかり、校正もこれですませることも可能になった。

2000.11.05 Dreamweaver
HP作成ソフトAdobe GoLiveを5.0へアップグレードするつもりだったが、この間、サイトの構造が原因不明で壊れてしまったことと、他でつくられたサイトをGoliveにダウンロードした際、これも原因不明だが色が微妙に変わってしまい調整できなかったことを経験した。
 そんなことがきっかけで、以前使っていたライバルソフトのMacromedia Dreamweaverの売出中の新バージョン(3.0)に再び戻ってしまった。腹立たしいマニュアルは少しは改善されているようだが、最近ではDreamweaverを使っている人のほうが多いとのこと。
 したがって今回からDreamweaverで作成しているが、機能が強化されているところもあり、使い方にはまだ馴れず、今後他のサイトもこれに変更していくには、細かな問題・調整がいろいろ出てきそう。

2000.09.01 machinami-net
まちなみネットがついにオープンしました。