5月3日、舞鶴港23:50発小樽港行き20:45着の新日本海フェリー「あかしあ」に初めて乗船。これで、東京から沖縄、小笠原を含め、本州から北海道、九州、四国へ行き来する長距離フェリーはほとんど乗船したことになる。
印象に残るのは、晩秋に乗船した東京−釧路航路でたくさんの渡り鳥や海の生き物に出合ったこと。船上での時間つぶしには、ただ海を眺めているのが一番だと思った。
あとは、何度も乗船した川崎−宮崎航路かな。時間的にも経済的にも便利で、いろいろおもしろい体験をした。
新潟からの小樽行きは早朝4:30着なので、天候が荒れているときはライダーはひとまず港近くの24時間営業の温泉でひと休みしたものだった。今回の舞鶴便は、夜着なので宿代が高い小樽は避けて余市まで行って一泊した。
ちなみに今回は帰りも同便だったので舞鶴21:15着なので舞鶴で一泊したけれど、結局このコースは2泊かかるということか。
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再び、萩へ
五右衛門風呂、古民家
1973年の年末、建築史家・神代雄一郎の本で知った高知県足摺岬の沖合に浮かぶ沖の島の漁村集落を訪れた。そこで泊まった民宿で初めて「五右衛門風呂」を経験した。その後、1、2回出合ったような記憶があるが、どこだったか場所は覚えていない。
10月に続いて今月再び、萩へ。
空き家バンクに登録されている民家を見に行ったら、タイル貼りの湯船とは別に広い浴室の隅に五右衛門風呂が残っていた。同行した友人の博物館長によれば、そう古いものではないが、とても再生できるものではないとのこと。惜しい。古民家を見て回るといろいろ不思議なものに出合えるのがおもしろい。
萩へ。
昨年就航した東京九州フェリーで横須賀から新門司へ。
南下して、人吉、水俣、そして熊本から北九州を経て、萩へ。
昨年のちょうど同じ頃も来ているが、馴染みがあるので落ち着く。
象潟
函館から津軽海峡フェリーで青森に早朝到着。岩木山を西に眺めながら東北自動車道を鹿角八幡平ICまで、その後341号を大曲まで南下、湯沢でちょっと買い物をしてから今度は鳥海山の北側をぐるっと回って日本海沿いの象潟へ。
今は山形県にかほ市の一部。1969年3月、ここの「象潟青年の家」というユースホステルに泊まった思い出がある。寝込んでいたら、突然、国旗掲揚・朝礼のアナウンスで起こされて、慌てて抜け出してきた。
その象潟の中心部では宿が取れず、少し南下して羽越本線の小砂川駅近く、岬の先端にある松本旅館に泊まったが、宿の眺めが、前にも宿泊したことがあった気がした。
その後、酒田で2泊して自転車で散策していた。
帰りは、仙台に寄ろうかと思っていたが、天気が荒れそうだということで、そのまま常磐道で帰る。
きじひき高原
北海道・大沼国定公園の南、仁山高原スキー場は小・中学生の頃の思い出のスキー場。まだリフトがなかった頃は麓の仁山駅からスキー板を担いで、確か2時間ほどかけて登った。素朴な山小屋もあって泊まったこともある。ドラム缶を半分に割った半円の薪ストーブがあって、2階屋根裏の寝床は冬場の夜でも暑いくらいだった。
中学3年の早春、スキーシーズンも大方終わった頃、クロスカントリーのような感じでゲレンデの頂上から冬場では立ち入りが難しかったさらに奥まで行ったことがある。所々雪解けが現れている中、雪面を辿りながら滑ったり登ったりしながら広々と眼前にうねる高原が何処でどう進んでいるのかもわからず、怖い気もした。
2020年5月、函館から厚沢部・江差方面に繋がる227号線の途中から間道を北へ登っていくと北斗市の「匠の森公園」から、「きじひき高原キャンプ場」、「パノラマ展望台」へ至る。いつ頃このようなコースが整備されたか知らなかったが、なだらかな高原と牧場が一望に見渡される。
展望台から彼方に大沼や駒ヶ岳を眺めているとすぐ足下に草木に覆われたスキー場のリフト降り場跡が目に入った。それで一気に地形がわかった。あのときの高原がここだった。