再び、萩へ

五右衛門風呂、古民家

1973年の年末、建築史家・神代雄一郎の本で知った高知県足摺岬の沖合に浮かぶ沖の島の漁村集落を訪れた。そこで泊まった民宿で初めて「五右衛門風呂」を経験した。その後、1、2回出合ったような記憶があるが、どこだったか場所は覚えていない。

10月に続いて今月再び、萩へ。
 空き家バンクに登録されている民家を見に行ったら、タイル貼りの湯船とは別に広い浴室の隅に五右衛門風呂が残っていた。同行した友人の博物館長によれば、そう古いものではないが、とても再生できるものではないとのこと。惜しい。古民家を見て回るといろいろ不思議なものに出合えるのがおもしろい。

萩の古民家で出合った五右衛門風呂

萩へ。

昨年就航した東京九州フェリーで横須賀から新門司へ。
 南下して、人吉、水俣、そして熊本から北九州を経て、萩へ。
 昨年のちょうど同じ頃も来ているが、馴染みがあるので落ち着く。

九十九里

県民割りを利用して鴨川へ。
 海岸線を南下して途中ひと休みしていたら、九十九里町の有料道路と砂浜に挟まれて雑草に覆われた蘆花の文学碑を見つけた。

「文豪徳冨蘆花先生文學碑」九十九里町栗生

紅葉日記

紅葉の「銚子記行」という随筆を読んでみようと、全集所収の第11巻を図書館から借りる。
 「銚子記行」は4頁ほどの短文でどうと言うこともなかったが、11巻は「紀行・日記」編で、紅葉の明治32年、36年当時の日記が入っていた。これが、すこぶるおもしろい。

ついでに、いっしょに借りた本。
 『渡辺崋山集』第1巻「日記・紀行(上)」、『夢声戦争日記』。
 夢声日記は、中公文庫の『夢声戦中日記』が出ているが、これは抄録なので、どのくらいの抜粋か比較するため全文掲載の全集を借りてみたが、これならやはり抄録よりは全文がいい。文庫版の日記全7巻が出ているので、古本屋で探してみる。

象潟

函館から津軽海峡フェリーで青森に早朝到着。岩木山を西に眺めながら東北自動車道を鹿角八幡平ICまで、その後341号を大曲まで南下、湯沢でちょっと買い物をしてから今度は鳥海山の北側をぐるっと回って日本海沿いの象潟へ。
 今は山形県にかほ市の一部。1969年3月、ここの「象潟青年の家」というユースホステルに泊まった思い出がある。寝込んでいたら、突然、国旗掲揚・朝礼のアナウンスで起こされて、慌てて抜け出してきた。

その象潟の中心部では宿が取れず、少し南下して羽越本線の小砂川駅近く、岬の先端にある松本旅館に泊まったが、宿の眺めが、前にも宿泊したことがあった気がした。
 その後、酒田で2泊して自転車で散策していた。

帰りは、仙台に寄ろうかと思っていたが、天気が荒れそうだということで、そのまま常磐道で帰る。

象潟から鳥海山を望む(山形県にかほ市)

きじひき高原

北海道・大沼国定公園の南、仁山高原スキー場は小・中学生の頃の思い出のスキー場。まだリフトがなかった頃は麓の仁山駅からスキー板を担いで、確か2時間ほどかけて登った。素朴な山小屋もあって泊まったこともある。ドラム缶を半分に割った半円の薪ストーブがあって、2階屋根裏の寝床は冬場の夜でも暑いくらいだった。

中学3年の早春、スキーシーズンも大方終わった頃、クロスカントリーのような感じでゲレンデの頂上から冬場では立ち入りが難しかったさらに奥まで行ったことがある。所々雪解けが現れている中、雪面を辿りながら滑ったり登ったりしながら広々と眼前にうねる高原が何処でどう進んでいるのかもわからず、怖い気もした。

2020年5月、函館から厚沢部・江差方面に繋がる227号線の途中から間道を北へ登っていくと北斗市の「匠の森公園」から、「きじひき高原キャンプ場」、「パノラマ展望台」へ至る。いつ頃このようなコースが整備されたか知らなかったが、なだらかな高原と牧場が一望に見渡される。
 展望台から彼方に大沼や駒ヶ岳を眺めているとすぐ足下に草木に覆われたスキー場のリフト降り場跡が目に入った。それで一気に地形がわかった。あのときの高原がここだった。