見島へ

《付:島めぐりの記録》

10月24日(火)、好天が続き、波も静かだったので、萩港から定期船で見島(みしま)へ(北北西45km 70分)。1泊したがその前の週は日帰りで大島へ(北9km 30分)。
 見島は萩諸島の中で住民がいる3島のひとつ、もっとも沖合、最大で、人口千余人。季節によって1日往復2〜3便。今の時期は2便で乗客は20名ほどだった。この辺の島はいずれも切り立った岸壁に囲まれたほぼ平坦な台地状である。「みしま産」と表示された野菜は萩市内でも見かけるし、「見島牛」は高級ブランドでもある。
 ちょっと集落を離れると、舗装路もデコボコが多く、枯れ木や枯れ葉もずっと前からそのままで人や車が行き来してきたような感じで、昭和50年頃まで山間地の普通の街道はたいていがこんな感じだったのではなかったかと、離島で余計なことを思い出されてしまった。

長尾ノ鼻にて(萩市見島 2023)

《島めぐりの記録》
・1969年3月……山形県酒田市の飛島へ。酒田港から北西約40km。
・1970年9月……横浜港から沖縄・八重山諸島へ。パスポート期限の1カ月滞在。竹富島の思い出。
・1971年8月……博多港から長崎県の壱岐へ、さらに対馬まで渡る。浅芽湾での一日。
・1973年12月……高知県宿毛市の沖の島へ。宿毛市片島港から西約25km。
・1974年8月……長崎から五島列島の福江島へ。白良ヶ浜で。
・1979年10月……伊豆大島。知人らと釣り目的。
・1987年11月……佐渡島へ。直江津港から小木港へ渡る。
・1990年12月……博多港から再び長崎県の対馬・厳原港へ、バイクで。帰りに平戸へも廻る。
・1991年3月……有明港から小笠原・父島へ。島の守備隊所属だった父の戦跡巡りに同行。
・1992年4月……北海道の江差から奥尻島へ。釣行。
・1992年8月……能登半島の輪島から北へ約50kmの舳倉島へ。
・1993年5月……鳥取県境港で天候悪化で船が欠航し、隠岐諸島行きを断念。以後も二度。
・1994年6月……バイクで北海道稚内へ。利尻島、礼文島へ渡る。
・1997年2月……鹿児島から奄美経由フェリーで沖縄へ。本島、石垣島、竹富島。
・1998年7月……川崎−日向フェリーで九州ツーリング。長崎県五島列島の福江島まで。
・2001年4月……中国・四国ツーリング。瀬戸内海の大崎上島木江、井口島瀬戸田、因島。
・2001年10月……再び、北海道の北端、利尻島、礼文島へ。
・2003年1月……徳島県牟岐町の牟岐港から15分ほどの出羽島へ。
・2003年5月……空路沖縄に渡り、レンタルバイクで名護市運天港から伊是名島、伊平屋島へ。
・2004年7月……新潟港から再び佐渡へ。帰りは赤泊港から寺泊へ。
・2004年10月……鹿児島港から奄美大島、加計呂麻島へ。さらに、薩摩川内市から甑島へ。
・2005年10月……36年振りに山形県・飛島再訪。前回と同じ澤口旅館泊。
・2006年9月……九州を廻っている途中、熊本県天草へ。
・2007年6月……34年振りに高知県沖の島を再訪。
・2008年6月……三度目の利尻島、礼文島。利尻山登山が時間が足りず八合目付近で断念。
・2009年5月……平戸大橋から長崎県の平戸島。
・2012年1月……香川県丸亀から塩飽諸島の笠島へ。
・2012年4月……新潟港から三度目の佐渡へ。帰りは小木港から直江津へ。
・2014年10月……広島県竹原から上大崎島へ。帰りは今治へ。
・2015年12月……鹿児島県出水の方から天草下島へ。その後雲仙の方へ抜ける。
・2018年9月……徳島県牟岐町の出羽島再訪。
・2023年10月……山口県萩港から大島日帰り。一週間後に見島、1泊。

舞鶴港から北海道へ

5月3日、舞鶴港23:50発小樽港行き20:45着の新日本海フェリー「あかしあ」に初めて乗船。これで、東京から沖縄、小笠原を含め、本州から北海道、九州、四国へ行き来する長距離フェリーはほとんど乗船したことになる。
 印象に残るのは、晩秋に乗船した東京−釧路航路でたくさんの渡り鳥や海の生き物に出合ったこと。船上での時間つぶしには、ただ海を眺めているのが一番だと思った。
 あとは、何度も乗船した川崎−宮崎航路かな。時間的にも経済的にも便利で、いろいろおもしろい体験をした。

新潟からの小樽行きは早朝4:30着なので、天候が荒れているときはライダーはひとまず港近くの24時間営業の温泉でひと休みしたものだった。今回の舞鶴便は、夜着なので宿代が高い小樽は避けて余市まで行って一泊した。
 ちなみに今回は帰りも同便だったので舞鶴21:15着なので舞鶴で一泊したけれど、結局このコースは2泊かかるということか。

「あかしあ」のオープンデッキにて

萩、転居

3月、萩に転居。
 4年前の佐原への転居では溜まった資料や本をなかなか整理できなかったが、今回は早くから心がけた。断捨離には引っ越しが一番だ。

3月の萩は、天気の移り変わり寒暖の変化も大きく、まだ落ち着かない。もっとも今年は全国的に同様な様子。
 たわわに実る夏みかんは、萩では年中目にする。

再び、萩へ

五右衛門風呂、古民家

1973年の年末、建築史家・神代雄一郎の本で知った高知県足摺岬の沖合に浮かぶ沖の島の漁村集落を訪れた。そこで泊まった民宿で初めて「五右衛門風呂」を経験した。その後、1、2回出合ったような記憶があるが、どこだったか場所は覚えていない。

10月に続いて今月再び、萩へ。
 空き家バンクに登録されている民家を見に行ったら、タイル貼りの湯船とは別に広い浴室の隅に五右衛門風呂が残っていた。同行した友人の博物館長によれば、そう古いものではないが、とても再生できるものではないとのこと。惜しい。古民家を見て回るといろいろ不思議なものに出合えるのがおもしろい。

萩の古民家で出合った五右衛門風呂

萩へ。

昨年就航した東京九州フェリーで横須賀から新門司へ。
 南下して、人吉、水俣、そして熊本から北九州を経て、萩へ。
 昨年のちょうど同じ頃も来ているが、馴染みがあるので落ち着く。

九十九里

県民割りを利用して鴨川へ。
 海岸線を南下して途中ひと休みしていたら、九十九里町の有料道路と砂浜に挟まれて雑草に覆われた蘆花の文学碑を見つけた。

「文豪徳冨蘆花先生文學碑」九十九里町栗生

紅葉日記

紅葉の「銚子記行」という随筆を読んでみようと、全集所収の第11巻を図書館から借りる。
 「銚子記行」は4頁ほどの短文でどうと言うこともなかったが、11巻は「紀行・日記」編で、紅葉の明治32年、36年当時の日記が入っていた。これが、すこぶるおもしろい。

ついでに、いっしょに借りた本。
 『渡辺崋山集』第1巻「日記・紀行(上)」、『夢声戦争日記』。
 夢声日記は、中公文庫の『夢声戦中日記』が出ているが、これは抄録なので、どのくらいの抜粋か比較するため全文掲載の全集を借りてみたが、これならやはり抄録よりは全文がいい。文庫版の日記全7巻が出ているので、古本屋で探してみる。

象潟

函館から津軽海峡フェリーで青森に早朝到着。岩木山を西に眺めながら東北自動車道を鹿角八幡平ICまで、その後341号を大曲まで南下、湯沢でちょっと買い物をしてから今度は鳥海山の北側をぐるっと回って日本海沿いの象潟へ。
 今は山形県にかほ市の一部。1969年3月、ここの「象潟青年の家」というユースホステルに泊まった思い出がある。寝込んでいたら、突然、国旗掲揚・朝礼のアナウンスで起こされて、慌てて抜け出してきた。

その象潟の中心部では宿が取れず、少し南下して羽越本線の小砂川駅近く、岬の先端にある松本旅館に泊まったが、宿の眺めが、前にも宿泊したことがあった気がした。
 その後、酒田で2泊して自転車で散策していた。

帰りは、仙台に寄ろうかと思っていたが、天気が荒れそうだということで、そのまま常磐道で帰る。

象潟から鳥海山を望む(山形県にかほ市)

きじひき高原

北海道・大沼国定公園の南、仁山高原スキー場は小・中学生の頃の思い出のスキー場。まだリフトがなかった頃は麓の仁山駅からスキー板を担いで、確か2時間ほどかけて登った。素朴な山小屋もあって泊まったこともある。ドラム缶を半分に割った半円の薪ストーブがあって、2階屋根裏の寝床は冬場の夜でも暑いくらいだった。

中学3年の早春、スキーシーズンも大方終わった頃、クロスカントリーのような感じでゲレンデの頂上から冬場では立ち入りが難しかったさらに奥まで行ったことがある。所々雪解けが現れている中、雪面を辿りながら滑ったり登ったりしながら広々と眼前にうねる高原が何処でどう進んでいるのかもわからず、怖い気もした。

2020年5月、函館から厚沢部・江差方面に繋がる227号線の途中から間道を北へ登っていくと北斗市の「匠の森公園」から、「きじひき高原キャンプ場」、「パノラマ展望台」へ至る。いつ頃このようなコースが整備されたか知らなかったが、なだらかな高原と牧場が一望に見渡される。
 展望台から彼方に大沼や駒ヶ岳を眺めているとすぐ足下に草木に覆われたスキー場のリフト降り場跡が目に入った。それで一気に地形がわかった。あのときの高原がここだった。